人生の歩み
軍人の家に生まれ育ったため
幼少期から引っ越しが多く、
様々な場所を転々とする日々を過ごす。
戦争中の疎開により、群馬県沼田市へ拠点を移し
高校卒業まで暮らす。
4人兄弟の長男であったが
幼い頃から機械いじりがとても好きだったため
自分の夢を叶えるべくして大学進学を決意。
群馬を離れ上京。
故郷に親、兄弟を置いて進学をしたが
生活はとても苦しく
学費は全部自分で工面しなくてはならい。
そのため、働きながら大学へ通い
いわゆる苦学生という大学生活を過ごす。
裸電球しかない狭い部屋で生活を過ごしながら
無事に大学生活を終了。
めでたく卒業し、就職をする。
奥田工機株式会社では念願であった技術者として従事し
開発部所属にて会社の中枢の仕事を任せられ業績を伸ばす。
仕事は順風満帆で会社からの期待はとても
大きかったが、更なる探究心と向上心もあり、
また、結婚を機に、起業を決意する。
プライベートでは33歳のとき
生涯の伴侶となる女性との出会いがある。
友人の奥さんの妹:万利子(27歳)と結婚。
世話好きな友人宅には
毎日のようにたくさんの人が出入りし
グループでの楽しい時間を過ごしていたが、
ある日、帰り道が偶然一緒になったことが
きっかけで万利子と2人で映画に行く約束をはたす。
その出来事により2人は急接近。
お互い自然ななりゆきで交際スタートのちに結婚
一男一女に恵まれる。
結婚後、落ち着いた新婚生活がスタートしたのもつかの間
起業を決意していた教悦はすぐに行動へ移す。
先ずは友人と共同経営を国分寺で始める。
共同経営では、意見が対立することもしばしば・・・
やはり自分の追い求めているものを実現させたいと
自分1人で独立することを決意!
共同経営は解消。
国分寺から千葉県柏市に引っ越し
狭い団地の1部屋で自宅兼事務所として会社を始めた。
昭和42年2月
株式会社ヤシマの前進となる
八洲電装株式会社を設立
ほどなくして妻、幼い2人の子供とともに
東京都小平市へ拠点を移す。
仕事を軌道に乗せるため
幼い子供たちを親戚や知り合いに預け
夫婦二人三脚で奮闘する忙しい毎日を送る。
元々洋裁のプロであった妻・万利子も仕事をやめ
夫である教悦さんの仕事を手伝い、
一時期は工場長も務める。
家族の協力もあり会社はさらに業績を伸ばし
昭和44年頃 拠点を三鷹市へ移す
昭和63年には自宅兼工場だった
会社を調布市へ移転
その後、山梨県都留市に工場設立
さらなる業務拡大を達成する。
会社の経営は紆余曲折大変な時期も
多々あったが、いつもそばで支えて
くれていたのは大切な家族。
黙ってついてきてくれて
仕事を手伝ってくれていた妻や
可愛い子供たちに癒され
仕事の励みとなっていました。
自分が幼少期には親に甘えたり
やりたいことが制限された
生活であった。
笑いもほとんどなく
静かな時間を過ごすことが
多かったようで
それが反面教師となり
自分の家族とは
最高の時間を皆で過ごしたい!
明るく楽しくあってほしいという
願いも込めて
旅行やイベントはたくさん企画し
連れていった。
またそれが自分の楽しみ、喜びでもあった。
長男・哲也は優しい性格の好青年へ成長。
会社へも入社し後継者として精進してくれた。
結婚後は可愛い孫の優(ゆう)にも恵まれ
家族と共に幸せな同居生活が続いた。
一人娘の長女・雅子は
目に入れても痛くないほど可愛い存在。
高校の時にアメリカへ留学したいと
急に言い出され悩むが
大学は日本の大学へ行くことを条件に
アメリカ留学させることに。
約束通り帰国し日本の大学に通い始めて
ホッとした矢先
またアメリカへ行きたいと懇願される。
今度アメリカへ行ったら
一生日本へ帰って来ないのではないかと猛反対するも
半年後にようやく認める。
アメリカの大学へと娘を送り出し
その後は一番の理解者・応援者となる。
妻と一緒に何度も外国の娘の元を訪れ
娘と3人での旅行を存分に楽しんだ。
会社も順調だったが
息子への世代交代は簡単ではなかった。
世代も考え方もまったく違う親子である。
何度も衝突する日々が続き、毎日悩み続けた。
しかし、ある日、思い立った。
自分は身を引き
これからは哲也に全部任せよう。
子供は一番可愛い。
でも孫の優も本当に可愛くて仕方なかった。
仕事が終わって家に帰るとき
恋人に会えるかのように
心うきうきで家路についた。
晩年は優と一緒に過ごす毎日が
一番の楽しみとなった。
世代交代もうまくいき
妻と共に楽しい隠居生活を送る。
孫もすくすくと成長し穏やかな余生を
過ごしていたある日
病が教悦の体を襲う。
病に倒れながらも
まだ未婚であった長女:雅子の花嫁姿をみたい!
バージンロードを
一緒に歩くんだ!という目標のために
病と闘う毎日を過ごしていた。
長女の結婚が決まったころには
教悦はほとんど寝たきり状態で
結婚式・披露宴に参加できる
ような状態ではなかった。
救急車で運ばれてしまう事態になりかねないと
家族皆、猛反対。
そんな教悦のために
自宅で白無垢のお披露目会を行った。
そのあと2週間後に伊豆の川奈ホテルにて
挙式を行うことが決まっていたが
出席できない状態にもかかわらず
教悦は、ひそかにバージンロードを
歩く練習を行っていた。
なんと、挙式直前までに
歩くことが出来るまで回復。
その姿をみていた妻・万利子は
どうしてもお父さんの願いを
叶えてあげたいと家族を説得し
周囲の反対を押し切り伊豆の挙式会場へ。
そして、無事に娘の挙式にて
念願だったバージンロードを
一緒に歩いたのだ。
教悦の熱意が届いたのか
あれだけ寝たきりだったのに
元気を取り戻した姿には
家族も皆嬉しかったとのこと。
結婚式・披露宴に参列したあと
伊豆の温泉で家族と共に過ごした。
これが最後の家族旅行となった。
最後の力を振り絞り
自分が目標として決めたことには
まっすぐ邁進し
何が何でも達成する!
それが大切な家族のためという
家族が原動力、源となっていた。
それこそが
教悦の人生そのもの。
その後、ほどなくして
大好きな家族に見守られ
安らかに永遠の旅へ旅立った。
享年78歳。
~追伸~
きっと天国で一つだけ
やり残したことがあると悔やんでいるとしたら
天国へ旅立った後に誕生した
娘・雅子の一人娘・あゆこに
会えなかったこと。
あゆこを一度でも抱っこしたかった。
父のために、そしてあゆこのために、この夢を
今回AI動画で実現させることが出来ました。
(ごあいさつページ冒頭"Memory For Mother"にて)
皆さん、また夢でお逢いしましょう!
Memory For Mother
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あの日の記憶を今もう一度。この映像は、17年前に亡くなった父の記憶を、母のために蘇らせるために制作しました。 若かりし頃の父と母と家族が蘇り、そして父が亡くなった後に生まれた孫娘を、父がこの映像の中では抱きしめることも出来ました。家族の大切な記憶が生き返り、そしていつまでも残せますように・・。
娘より